一昨日と今日は雑誌『セラピスト』に寄稿されていらっしゃる、
野見山文宏さんの生理解剖学講座に参加をしてきました。
野見山さんの講座はまさに“体感する生理解剖学講座”。
講座では野見山さんの指導のもと実際に自分達の体を使って、
私達の身体というのものはどのような造りになっていて、
どのように機能するのかを説明して下さったので、
学んだことの一つ一つが体にインプットされていった感じでした。
ボディーワーカーの方達だけだけではなく、
どなたが受講しても目からウロコの素晴らしい講座だと思います。
(終わった後に自分の体が愛おしくなります(笑))
講座に参加して見えてきたことは、
私達の体の中には相反するダイナミクスが混在していて、
その相反するもの同士が存在しているからこそ、
私達の身体はバランス良く中心にいられ、
また身体の動きに様々なバリエーションが実現できているということ。
例えば、私達の身体には脚を内股にさせることができる筋肉もあれば、
がに股にすることのできる筋肉も存在しています。
これらの真逆の方向にエネルギーが流れる筋肉が存在し、
それらがお互いに引き合っているからこそ、
私達は内股過ぎでもがに股過ぎでもない、
バランスのとれた中立の状態で立っていられるんだそうです。
また、私達の身体の中には、ナマコのような腔腸類から魚類、
魚類から両生類、両生類から爬虫類、爬虫類から哺乳類、
そして人間という生き物の進化の課程が全て含まれていて、
私達人間は原始からの“名残り”を体のあちこちに今も宿して生きているんだそうです。野見山さんが説明してくれたここの内容がとっても面白い!
(詳しくは野見山さんの講座を受講してみてネ。)
昔読んだ『胎児の世界』という本の内容を思い出しました。
地球に生命が誕生してからの36億年の歴史を私達は今も捨て去ることなく、
この体に宿して今も生き続けていることに感動を覚えました。
そして私は野見山さんの筋肉のお話を聞きながら、
土曜日の夜に行ったあるイベントのことをふと思い出しました。
そのイベントは『2分の2:私の中のふたつの世界』と題されたもので、
日本人とイタリア系米国人のご両親を持つ、
社会学研究をされているリゼ・マーシャ・弓美さんと、
日本人とドイツ人のご両親を持つ写真家のウィラー・ナタリー・摩耶さんという方達が立ち上げられた、ハーフのアイデンティティーを探る"ハーフジャパニーズ・プロジェクト”の一環として行われました。
このイベントでは両親の人種が異なっているいわゆる"ハーフ”だけではなく、
もっと広意義にトランスジェンダーとして男性性と女性性の狭間で生きられている方のアイデンティティについてもゲストスピーカーを招いて、講演・対談が行われました。
2つの異なる人種的、文化的背景を持つ両親から生まれた人達は、自分がどちらの人種に、文化に属しているのかを問う時・問われる時に、“どっちつかず”感を覚えられるんだそうです。日本で育ったから自分は日本人だと思っているけれど、顔は異国風の顔立ちだから、日本人と言い切るのにも違和感を抱いてしまったり、日本では外国人扱い、外国では日本人扱いを受けたりするなど、ハーフの方達はアイデンティティに揺らぎが生じる経験をされている方が少なくないようです。また、中には、自分のアイデンティティは両親のどちらの母国のものでもないと感じている方もいるようです。確かに今の日本の社会ではまだまだハーフの方達を特別視してしまうところがあるので、アイデンティティの揺らぎが生じてしまうのはまだ避けられないことなのかもしれません。
私はこのイベントの『2分の2:私の中のふたつの世界』という題名に深く感銘を受けました。副題が“私の中のふたつの世界”とあるものの、“2分の2”イコール“1”ですよね。つまり、2つの異なる存在も“1”になる。それは、“3分の3”でもそうだし、“4分の4”でもそうだし、どんなにその数が増えていったとしても、それは“1”となるんですよね。算数を習ってきた私達には当たり前で特別なことではないように感じますが、私はそこに改めてすごさ、いや、“ものすごさ”を感じました。何だか宇宙の真理を見つけちゃった気分にまでなりました(笑)。
先ほど、生物が腔腸類→魚類→両生類→爬虫類→哺乳類とだんだんと進化をして、人間のような新しい身体構造を持った生物が誕生したとお話をしましたが、私達人間の身体には今もなお腔腸類〜爬虫類だった時の名残りを残している箇所があり、それらの複数の生物の身体構造の要素が合わさって今の私達人間、つまり“1”を造り上げているんだなぁ、と。それと同様に、現代の私達人間の緩やかな進化として、世界に簡単にアクセスできるようになった今、様々な人種が混ざり合ってハーフの人達が誕生して人種的な垣根を乗り越えていくことも“1”を造り上げて行っていることなんじゃないかなと思いました。また、内股・がに股になる異なる機能をもった筋肉があるからこそ私達は中心に立っていられるわけで、これは私達の生き方にも当てはまるような気がします。つまり、自分の中に異なる要素があるということは、私達をバランスの良い方向へと導いてくれるものなのではないのかな、と。私達を中心へと向わせるために、陰と陽、光と闇、善と悪、東と西、男と女・・・という相反するものが“あえて”存在してるのではないかなと思いました。ハーフの方達は個人個人で観た場合はまだ苦労をされている方が多いかもしれませんが、彼らの存在はこの世界にとってとても意味のあることのような気がします。
私達はこれから“1”に向おうとしてるんじゃないかな、と感じました。これまでも私達は異なるものを同士をハイブリッドさせて“1”を創り上げてきたわけですから。“1”の概念がもっともっとこれから拡大していって、より“1”に近づいていくんじゃないでしょうか。そして、その“1”そのものの真実の姿が何なのかを考えるのが、またドキドキしちゃうわけです(笑)。
ちょっと長くなってしまいましたが、野見山さんの講座と、
マーシャさん・ナタリーさんのイベントでそんなことを考えさせられました。
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